歩き出す勇気、未来を変える一歩

仕事漬けの日々と、痛みに鈍感な自分

はじめまして、かずな総合研究所 代表の江原です。

わたしはこれまで、月200時間超の残業が6か月連続で続いたことがあります。最高で250時間に達した月もあり、何度も職場で朝を迎えました。丸椅子を並べて仮眠をとったり、出張先でも徹夜し続けたり——振り返ると、異常な働き方だと思います。しかし、当時のわたしはそれを「辛い」とは感じませんでした。むしろ、それが普通だと思い込んでいました。

ところが、ふと周囲を見渡すと、同僚たちが次第に笑顔を失い、疲れ果てていく様子に気づきました。かつて明るかった先輩がどんどん元気を失っていくのを見て、「わたしには何もできない」という無力感を抱えながらも、必死に仕事に没頭し続けました。それがわたしの「頑張り続ける理由」だと思っていたのです。

しかし、今振り返れば、ここまで自分を追い込んでも「辛い」と感じにくかったのは、子どもの頃から痛みを意識しない癖があったからかもしれません。

子どもの頃、手のひらを骨折したとき、「痛いと思わなければ痛くない」と言い聞かせ、痛みを感じることなく過ごしました。結果、指が曲がったままで固まりましたが、それを「いい思い出」として捉えていました。そんな風に、わたしは痛みに鈍感で、辛さを感じにくいタイプでした。それが、無理をし続ける原因となり、ますます「頑張らなければ」と思うようになったのです。


働きながら、大学で学んだこと

実は、そんな働き方を続けながらも、わたしは大学に通い、経営情報学士の学位を取得しました。忙しさとの両立は大変でしたが、「自分の時間を効率的に使いたい」という思いが、わたしを突き動かしました。この学びが、後に業務の改善や効率化を深く追求するきっかけにもなりました。


ランニングとの出会い

そんなわたしが、ひょんなことからランニングに目覚めたのは、『マラソン中毒者(ジャンキー)』という本を手に取ったことがきっかけでした。その本を読み進めるうちに、「違う自分になれるかもしれない」という感覚が急に湧き上がりました。

実は、当時、体力的にも精神的にも限界を感じていたのです。過酷な働き方に加え、積み重なっていった疲労やストレスが、体調に影響を与え始めていました。そんな時、この本に出会い、ふと「少しでも自分を変えたい」と感じるようになったのです。

「この著者に会いたい」と思い、深く考えずに東京・皇居の早朝ランに飛び入り参加してみました。運よく著者と一緒に走ることができ、本にサインまでいただくことができたのです。その経験は、わたしの心に強く刻まれ、「できるかどうか」ではなく、「まずはやってみる」という姿勢を身体で学んだ瞬間でした。


ウルトラマラソン完走の裏で

ランニングは、次第にウルトラマラソン(100km)に挑戦するまでになりました。結果として完走することができましたが、70km付近で赤茶色の尿が出るほど無理をしてしまいました。レース中、痛みを感じたわたしは、2回も痛み止めを飲みながら走り続けましたが、それでも身体の限界を感じていました。ゴール後には、脚が完全に使い物にならず、帰宅するにも新幹線を降りるのが一苦労でした。数か月間は走れない状態が続きました。

この経験を通じて、「無理をしすぎること」がどれほど体に負担をかけるのかを実感しました。その後、わたしは「無理しない挑戦の大切さ」に気づき、無理なく少しずつ自分のペースで進むことが大事だと感じるようになりました。

もっとも、このウルトラ完走体験は、ただ身体を壊しただけではありませんでした。大きな達成感があり、「もっと可能性を広げられるかもしれない」と思うきっかけにもなったのです。とはいえ、あまりに全力を出し切ったせいで、しばらくは燃え尽き感が強く、走る気力を失ってしまいました。それでも、その学びや達成感が最終的に独立を後押ししてくれたのです。


大企業からの独立

ランニングの成果が見え始める一方で、大企業を辞めて独立する決断は、簡単ではありませんでした。安定した収入を手放し、家族の未来をどうするかという不安が常にありました。

しかし、ありがたいことに、家族はわたしの背中を押してくれました。「そんなに働きづめで心配だわ。でも、やりたいことがあるなら、挑戦してみればいいじゃない」と。パートナーの支えがあったからこそ、わたしは新しい道を歩む決心ができました。


かずな総合研究所のはじまり

わたしがかずな総合研究所を立ち上げた背景には、これまでの経験が大きく影響しています。とくに、働きながら大学で学んだ情報活用や、仕事の現場での改善・効率化への強い関心が土台になりました。20代の頃には社長表彰を個人でもチームでも受けたこともあり、より良いやり方を探求する姿勢はずっと持ち続けています。

また、自分自身の経験から、過酷な環境に身を置き、仕事に没頭し続けるあまり、休むことができなかったことを痛感しています。だからこそ、「頑張りすぎた人が休むことの大切さ」を伝えたいという思いが強くなり、産業カウンセラーの資格を取得しました。

わたしがこれまで経験してきたことをまとめると、

  • 命にかかわるほど過酷な職場で、何もできなかった負い目
  • 痛みに鈍感な体質と長時間残業で疲れを感じにくかった自分
  • ランニングとウルトラマラソンで学んだ、小さな一歩を積み重ねる大切さ
  • 業務の改善や効率化で生まれる「休む余裕」を作る方法
  • 産業カウンセラーとしての学びを通じた、自分らしい生き方の発見

これらを一つにまとめる場として、かずな総合研究所を立ち上げました。


「違う自分になれ」という言葉

「違う自分になれ」。ランニングの本に書かれていたこの言葉を、わたしはいまも大切にしています。過去を変えることはできませんが、今日と明日、少しずつでも変えていくことはできると信じています。

この考え方は、ランニングだけでなく、仕事や人生にも通じるものだと感じています。ほんの少しでも自分を変えたくて、挑戦する気持ちがあれば、前に進むことができるんです。


本州縦断1,550kmに向けて

ウルトラマラソン完走後、しばらくわたしはランニングから遠ざかってしまいました。身体の回復に時間がかかり、走る意欲も薄れて、運動から遠のいていました。しかし、50歳を迎えたとき、「健康で動けるうちにもっと大きな挑戦をしたい」という思いがいっそう強まりました。そして、義姉が若くして病気で亡くなったこともあり、「今ある命を大切に使いながら、もう一度走り出そう」と決意しました。

この気持ちがわたしを動かし、本州縦断1,550kmフットレースへの挑戦を目指して、また走り込みを始めました。過去に何度も立ち止まってきた自分にとって、「止まってもいい。何度でも歩き出せば、その一歩が未来を変える。」という思いは、今のわたしを強く支えてくれています。わたしにとって、それはただの言葉ではなく、何度も立ち上がり、挑戦し続けるための力になっています。


「ノータイムポチリ」のすすめ

わたしが大切にしている言葉に「ノータイムポチリ」があります。これは、深く考えすぎずに心の声に従ってまず行動し、あとから自分に責任や段取りを任せるやり方です。無計画な暴走ではありませんが、動けなくなる前に一歩を踏み出し、後戻りできない状況を作ることで実行力を高める——そんな考え方だと思っています。

皇居の早朝ランに深く考えずに飛び入り参加したのも、今にして思えばわたしにとって最初の「ノータイムポチリ」でした。段取りを整えてから動こうとしていたら、きっとあの朝には間に合わなかったはずです。もしあなたにも、頭では気になっているのにまだ動けていないことがあるとしたら——それはどんなことでしょうか。

止まってもいい。何度でも歩き出せば、その一歩が未来を変える。
あなたにとっての「最初の一歩」は、どんな形をしているでしょうか。

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