意見を出しても通らない。自分の評価が上がっても、昇進や待遇には反映されない。そうした経験が重なり、会社に対して何も期待しなくなっていく自分に気づいた——そんな経験はないでしょうか。それは投げやりになったのではなく、実は説明のつく変化です。
「期待しなくなった」と感じるのは、めずらしくない
マイナビキャリアリサーチLabが、20〜59歳の正社員3,000人を対象に行ったインターネット調査があります。この調査は、やりがいやキャリアアップを求めず、決められた仕事を淡々とこなす働き方を「静かな退職」と呼んでいます。自分が「静かな退職」の状態にあると回答した人は、40代で44.3%、50代で45.6%でした。
この調査では、「静かな退職」の状態にあると答えた人に、そう感じるようになったきっかけも尋ねています。40代・50代でもっとも多かったのは、仕事や環境がうまくかみ合わず意欲が下がった「不一致タイプ」でした。静かな退職の状態にある人のうち、40代の33.3%、50代の33.1%がこのタイプに該当しました。
自由回答には、意見を主張しても聞き入れられず異動をさせられたという40代の声が見られます。50代からは、上司とかみ合わず、意見を言っても通らないため自分が正しいと思う仕事をするという声が見られます。
「静かな退職」と「会社に期待しなくなった」は、必ずしも同じ現象を指す言葉ではありません。ですが、努力してもそれに見合う反応が返ってこない経験の蓄積が背景にあるという点は共通しています。
なぜ期待は失われるのか — 心理的契約という考え方
経営学には、心理的契約という考え方があります。これは、会社との間で「ここは分かり合えている」と本人が感じていることを指します。神戸大学の服部泰宏の研究が、この考え方を紹介しています。文章化された雇用契約とは別に、会社との間には「これだけ努力すれば、これくらいは返ってくるはず」という暗黙の約束についての感覚が生まれます。
この約束は、会社の側と共有されている必要はありません。従業員がその約束があると感じているかどうかがすべてであり、法律で決まっている約束かどうかは関係ありません。
問題は、この約束が果たされなかったと感じたときに起こります。服部の研究では、雇用制度が変わることは、従業員にとって既存の約束が果たされなかったことだと受け取られる可能性があると指摘されています。意見が聞き入れられない、頑張っても昇進や評価に反映されないという経験も、同じように、目に見えない約束が果たされなかった経験として積み重なっていきます。
会社に期待しなくなったという変化は、こうした約束が果たされなかったことが繰り返された結果として起きている、と捉えることができます。
すべての期待が同じように失われるわけではない
会社への期待は一種類ではありません。同じ服部の研究では、契約の内容ごとに、果たされる場合とそうでない場合とで、信頼への影響の出方が違うことも分かっています。128人の社会人大学院生を対象にした探索的な研究であり、そのままどんな人にも当てはまるとは言えませんが、契約の種類によって影響の大きさが違うという傾向は、読者自身の経験と照らし合わせて考える材料になります。
魅力的な仕事や長期の雇用保障のような大きな約束は、もともと「実現するかどうか分からない」という前提で見られていることが多く、果たされなくても信頼は大きくは下がりません。むしろ果たされたときに、予想以上のこととして信頼が増える傾向があります。
大きな約束(魅力的な仕事・雇用保障など)
- もともと、あまり期待されていなかったと考えられる。
- 果たされると信頼が増える。
- 果たされなくても信頼は大きく下がらない。
身近な支援(日々の理解・配慮など)
- もともと、当然のこととして高く期待されていたと考えられる。
- 果たされても信頼は変わりにくい。
- 果たされないと信頼が大きく下がる。
反対に、日々の支援や配慮といった身近な項目は「あって当然」という前提で見られやすく、果たされても信頼が増えることはあまりありませんが、果たされないと信頼が大きく下がります。服部はこの違いを、契約内容ごとの期待水準の違いで説明できるのではないかと考察しています。
ここから見えてくるのは、会社全体に期待しなくなったという実感の中に、実はいくつかの異なる失望が同時に存在しているかもしれない、ということです。大きな約束が崩れたことよりも、日々の支援や配慮が失われたことの方が、信頼をより大きく損なうのかもしれません。
何に期待するかを選び直す
会社に期待しなくなっていくこと自体は、自然に起きる変化です。ただ、その先で「もう何も期待しない」と決めて会社との関わり方全体を投げやりにしてしまうと、かえって次にどう動くかを決めにくくなることがあります。何にも期待しないというのは、実は自然に生まれる状態ではなく、意識して保ち続けるには力がいります。
会社そのものに期待するのをやめる代わりに、何に期待するかを選び直すことが一つの方法になります。信頼できる特定の同僚、裁量のある具体的な業務、自分自身の技術や経験の蓄積など、より小さく確かめられる範囲に、期待する対象を変えてみることができます。
たとえば、会社や上司の評価には期待しなくても、目の前の一つの仕事の進め方だけは自分の裁量で決めてみる、というのも一つの例です。
気持ちの整理がついてから関わり方を変えようとすると、そのタイミングはなかなか訪れません。先に、期待する対象を一つだけ具体的に選び直してみることで、会社との関わり方は少しずつ変わっていくことがあります。会社そのものへの評価を一気に変える必要はありません。今の会社にいながらでも、自分で選んで動ける部分はまだあります。
※ 出典: 服部泰宏「日本企業における心理的契約の探索的研究:契約内容と履行状況,企業への信頼に対する影響」『組織科学』42巻2号(2008年)、マイナビキャリアリサーチLab「正社員の静かな退職に関する調査2025年(2024年実績)」(2025年)。
※ 江原 和比己(えはらかずひこ)—— 産業カウンセラー(日本産業カウンセラー協会認定)/日本ブリーフサイコセラピー学会 正会員/かずな総合研究所 代表。IT領域で約25年のキャリアを経て産業カウンセラーに転身。100kmウルトラマラソン完走者。