話しかける前に、相手の機嫌をうかがうようになった。意見を言いかけて、のみ込むことが増えた。怒鳴られたことも、手を上げられたこともない。それなのに、職場のあの人の前では、言われるままに動いている気がする。そんな感覚があるなら、職場で起きていることは「モラハラ」と呼ばれるものかもしれません。
モラハラは、小さな言動の積み重なりを指す言葉
モラハラ(モラルハラスメント)のもとになったのは、フランスの精神科医マリー=フランス・イルゴイエンヌが名付けた「harcèlement moral」という言葉です。1998年に同じ題の著書を出し、日本では翌1999年に『モラル・ハラスメント』の題で翻訳が出ています。
職場のモラハラについて、イルゴイエンヌの公式サイトはこう説明しています。身振りや言葉、態度などによる不当な行為が、繰り返されたり日常的に続いたりして、人の尊厳や、心と体の健康を傷つけるもの。その人の仕事を危うくし、職場の雰囲気も悪くするものです。
大事なのは、一度の大きな出来事を指していないことです。同じサイトは、一つひとつの出来事は切り離して見ればそれほど深刻ではなく、攻撃として働くのは、頻繁に繰り返される小さな傷の積み重なりのほうだ、と書いています。
日本の法令の条文に「モラルハラスメント」という言葉は出てきません。ただ、職場で起きたものは、法律と国の指針が定めるパワーハラスメントにあたる場合があります。
一つひとつは小さいのに、支配されていると感じる理由
モラハラの出来事は、一件ずつ取り出すと小さく見えます。ため息をつかれる。人前で細かく訂正される。人に話しても「その程度のことで」と返されそうで、どれを誰に訴えればいいのか分からなくなるのも無理はありません。
職場のガスライティングを扱った2026年の論文は、この現象を、働く人の困りごとを、仕事のことも仕事以外のことも小さく扱うふるまいで、相手を苦しめうるもの、と位置づけています。モラハラとは別の言葉ですが、はっきりした暴言のないまま人を追い込む点は重なります。
論文は、ほかの研究を引いて、上司が、自分にとって脅威だと感じた部下に対して、その自信を弱めたり、自分に頼る状態をつくったりするために、こうしたふるまいをすることがある、という例も挙げています。
例として挙がっているのは、必要以上に管理すること、部下が自分で自分を厳しく責めるように促すこと、部下に代わって決めてしまうこと、などです。受けた側が、自分のほうがおかしいのではないかと思うようになるかどうかは、相手との力の差をどう受け止めているかに左右される、ともしています。
ここに挙がっているふるまいは、どれも受けた側の自信や判断に向かうものです。だとすれば、支配は、相手の言動だけでなく、ご自身の変化にも表れることがあります。自分の判断に自信が持てない。自分で自分を責める言葉が増える。相手に確かめないと動けない。一件ずつは小さくても、こうした変化に心当たりがあるなら、小さいからたいしたことではない、と決めてしまわないほうがいいかもしれません。
相手が上司でなくても、パワハラにあたる場合がある
職場のパワーハラスメントは、労働施策総合推進法と厚生労働省の指針が定めています。①優越的な関係を背景とした言動で、②業務上必要かつ相当な範囲を超えたものにより、③労働者の就業環境が害されるもの。この3つをすべて満たすものを指します(②の「相当」は「ふさわしい」という意味です)。
「優越的な関係」は、上司と部下の関係に限られません。指針は例として、同僚や部下でも、業務上必要な知識や豊富な経験を持っていて、その人の協力がないと仕事が円滑に進まない場合を挙げています。同僚や部下が集団で行い、抵抗したり拒んだりするのが難しい場合も含まれます。
自分が過敏なだけではないか、と迷っているなら、指針のもう一つの記述が手がかりになります。③の就業環境が害されたかどうかは、「平均的な労働者の感じ方」で判断するのがふさわしい、とされています。同じ状況で同じ言動を受けたとき、社会一般の労働者が、働くうえで見過ごせない支障が生じたと感じるかどうか、という基準です。受けた人一人の感じ方だけで決まるものでも、それが退けられるものでもありません。
指針は、パワハラの代表的な言動を6つの類型に分けています。どれにあたりそうかは、ガイド記事「パワハラの6類型とは——指導・配慮との境目をどう見分けるか」にまとめています。
一人で見極めず、誰かに見てもらう
イルゴイエンヌの公式サイトは、苦しいと感じたら早めに誰かに話すよう勧めています。いま経験していることがふつうのことなのか、本当にモラハラなのかを確かめるためだけでもよい、とも書いています。一人で抱えていると、たいてい自分の状況を引いて見ることができないからです。
話すときは、出来事を並べて書き出したものがあると役に立ちます。いつ、どこで、何を言われたか。返事をもらえなかったような、されなかったことも出来事に入ります。あわせて、そのころからご自身の行動がどう変わったかも書き添えておくと、一件ずつでは見えなかった積み重なりが、話を聞く人にも見えてくることがあります。
書き留め方と、声を荒らげない上司の言動の見分け方は、ガイド記事「静かなパワハラの見分け方——怒鳴らない上司ほど厄介な理由」にまとめています。
一件ずつ見ると
- ため息、人前での細かい訂正。
- どれも「その程度のことで」と言われそうに見える。
並べて見ると
- 同じ相手から、繰り返し向けられている。
- そのころから、自分自身にも変化が起きている。
見てもらう相手は、家族や信頼できる同僚のほか、次に挙げる相談先もあります。
相談できる場所
社内の相談先は、会社の相談窓口です。法律は事業主に、パワハラの相談に応じ、適切に対応するための体制を整えることを義務づけています。指針は、パワハラにあたるかどうか微妙な場合であっても、窓口は広く相談に応じるようにと求めています。あたるかどうかを見極めてから行く必要はありません。
相談した内容がどこまで会社に伝わるかは、ガイド記事「会社の相談窓口を使ったら、相談内容は会社に伝わるのか」にまとめています。
社内では話しにくいときは、都道府県労働局や全国の労働基準監督署などに置かれた総合労働相談コーナーがあります。いじめ・嫌がらせやパワハラを含む、あらゆる分野の労働問題を、面談か電話で受け付けています。最寄りの窓口と利用のしかたは、厚生労働省の「総合労働相談コーナーのご案内(外部サイト・新しいタブで開きます)」で確かめられます。
心の不調が続いているなら、職場の問題とは別に、厚生労働省「こころの耳」が案内する「働く人の「こころの耳電話相談」(外部サイト・新しいタブで開きます)」に相談してください。働く人やその家族などが対象で、電話のほかSNS・メールもあります。この窓口はハラスメントにあたるかどうかは判断せず、内容に応じて専門機関を案内しています。
※ 出典: Marie-France Hirigoyen 公式サイト「Le harcèlement moral au travail」「Biographie」、2026年9月23日閲覧。国立国会図書館サーチ「モラル・ハラスメント : 人を傷つけずにはいられない」(紀伊國屋書店、1999年)書誌、2026年9月23日閲覧。Popat, N., Pandey, J.「Workplace gaslighting: a construct for organizational research」(Frontiers in Psychology, 17)、2026年3月、2026年8月21日閲覧。厚生労働省「事業主が職場における優越的な関係を背景とした言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針」(令和2年厚生労働省告示第5号)、2026年8月18日閲覧。労働施策の総合的な推進並びに労働者の雇用の安定及び職業生活の充実等に関する法律(e-Gov法令検索)、2026年9月23日閲覧。厚生労働省「総合労働相談コーナーのご案内」、2026年9月7日閲覧。厚生労働省こころの耳「働く人の「こころの耳電話相談」」、2026年9月11日閲覧。モラハラの定義と、攻撃の積み重なりについての記述はイルゴイエンヌ公式サイト「Le harcèlement moral au travail」の「Définitions」節、誰かに話すことを勧める記述は同ページのFAQ「Que faire en cas de harcèlement moral?」、言葉の由来は同サイト「Biographie」による。著者名の日本語表記・翻訳の刊行年・原題は国立国会図書館サーチの書誌による。法令の条文に「モラルハラスメント」の語が無いことは、e-Gov法令検索のキーワード検索(2026年9月23日。中黒の有無・分かち書きの4通りを検索)で確認した。パワーハラスメントの3つの要素は同指針2(1)、「優越的な関係」の例は同2(4)、「平均的な労働者の感じ方」は同2(6)による。パワハラにあたるか微妙な場合も広く相談に応じることは同指針4(2)ロ、事業主の相談体制の義務は労働施策総合推進法第31条第1項による(令和7年法律第63号による改正後。2026年10月1日の施行前は第30条の2第1項)。
※ 江原 和比己(えはらかずひこ)—— 産業カウンセラー(日本産業カウンセラー協会認定)/日本ブリーフサイコセラピー学会 正会員/かずな総合研究所 代表。IT領域で約25年のキャリアを経て産業カウンセラーに転身。100kmウルトラマラソン完走者。